自転車で関東地方を制覇!中学3年の時に無茶をした話

 

こんにちは、トウシロウです。

今日は検索キーワードとかいう無粋なものを無視して、ちょっと私の昔話を書きたいと思います。

注)実はこのブログ、流入の9割が検索から、というつまらないものです。

 

私は小さい頃から自転車に乗るのが好きで、友人とちょっとした遠出をよくしていました。

小学生の時ってお金も移動手段もなくて、移動範囲がすごく狭いですよね。歩いて15分の公園とか友人宅とか、1人で行く場所といったらそんなものでした。

初めて手に入る移動手段は自転車。コイツのおかげで行ける場所が一気に増えました。

私はいわゆる子供用の自転車は持っていなくて、小学4年生の時にもらった親のおさがりが初代愛車でした。

そこからはもう世界が広くなって、知らない場所にたくさん行きました。まわりには自転車を持っていない友人が数人いて、二人乗りしたり、交代で1人は足で走りながら遠くに行くという元気な時もありました。

一番よく覚えているのは3人乗り。普通の自転車で。

やり方は、1人は立ちこぎ、1人はサドルに座る、1人は荷台に座る。子どもって体が小さいから、意外とスペースがあるんです。

自転車は1台しかないけど、3人で遊びに行きたいという執念が生み出した方法ですね。子どもは先のことを考えないから恐ろしい。

わかりきっていたことですが、坂でブレーキをかけた時にバランスを取るのが難しく、あっけなく転倒し、血を流して断念しました。

 

私がバカだった話はこの位にして、もっとバカになった話をしたいと思います。

タイトルにあるように、私は中学3年の時に、自転車で関東にあるすべての都道府県を制覇しました!

これだけ聞くと、大抵の人は「おーすごいな!」と言ってくれます。

(*´σー`)エヘヘ

 

しかし、実はちょっとしたからくりがあるのです。嘘はついてないですよ!

今日はその時の思い出を書いていきます。無茶をすることを忘れてしまった大人たちにぜひ読んで頂きたいと思います。

 

拠点は目黒区、愛車は無印良品

 

当時私は東京都目黒区に住んでいました。

自転車で行く場所といえば多摩川の土手(駅でいうと東急の二子玉川)、武蔵小山の商店街(ゲームソフトが安かったから)、30分位で行けるお祖母ちゃん家(いつもお小遣いをくれた、ありがとう!)など、だいたい1時間くらいで行ける範囲でした。

しかし、順調に成長した私にとってそんな日常は少し退屈になりました。そこである日ふと思ったのです。違う県に行ってみたいな、と。

 

中学2年の時まで親のおさがり自転車を使っていましたが、とんでもない幸運で新しい自転車を手にいれることができました

ある日、特に用があったわけでもなく、三軒茶屋のあたりをウロウロしていたら、チャリティー?みたいなイベントをやっていました。

主催者とジャンケンをして、最後まで残った人が出品された自転車をもらえる、というものでした。

人見知りの私が自分から参加する勇気なんてなかったのですが、自転車をジーっとみていた私に気づいた大人が声をかけてくれました。

 

いい大人

いい大人
ボウヤもジャンケンしてきなよ!

 

「そういわれたら仕方ない、気乗りはしないけど参加だけはしてやるか」

うひゃひゃひゃひゃ!

 

無理やり参加させられた(?)私は毘沙門天に必勝を誓い、まわりの欲にまみれた大人たちをやっつけるべく出陣しました。

 

一口メモ

毘沙門天(びしゃもんてん):上杉謙信が信仰していたことで有名な戦の神様

 

参加人数は50人ほど、自転車は1台。桶狭間の戦いに勝るとも劣らない難易度。

ここで時間をかけても仕方ないので、結果だけざっくり言うと、

余裕の勝利でした(・∀・)ニヤニヤ

 

熱戦を生き残った私はご褒美の自転車を手にいれることができました。中古自転車でしたが、そこらのママチャリではなくて、マウンテンバイクだったのです!

私とマウンテンバイクの出会いはここでした。

チャリティーでしたので、いくらか募金をするシステムでした。子どもの私にお金がないのは大人たちもわかっていたようで、「気持ちだから、いくらでも良いのだよ」と言ってくれました。

当時の私は本当に貧乏で、財布には100円玉1枚と、10円玉と1円玉が何枚かあるだけでした。もちろん札はなし。

私の査定では市場価値3万円はある自転車が手に入るわけですから、せめて全財産を投げ出すべきでしたが、クズだった私は100円だけ募金しました。缶ジュースも買えない金を残しちゃうあたりはほんと小物感がやばかったですね。

それはさておき、私は中古ではあるが、中2にしてマウンテンバイクを手にいれることができました!

その嬉しさはプレステーションを買ってもらった時に比肩するものでした。

 

その後時は経ち、お年玉を溜めていた私に友人Aが耳打ちをしてきました。

 

友人A

友人A
安くてカッコいいマウンテンバイクを見つけたよ!

 

友人Aはこれ以降、数えきれない位一緒に自転車で遠出をした仲です。

 

「安くてカッコいいマウンテンバイクだと?!」

迷うことなく彼についていった私が目にしたのは、無印良品で売られていたマウンテンバイクでした。

こんな感じのやつ。

値段は25000円。色は無印だから全身シルバー。

100%気にいったわけではなかったのですが、25000円は安い!

今はなき碑文谷のダイエーなどでは最低でも4万円はしたマウンテンバイクが25000円で買えるのは魅力的でした。

ギアも3×7と文句はなかったので、中3の私は新車のマウンテンバイクを大人買いしてやりました。

また懐がさびしくなってしまったけど、私はピカピカのマウンテンバイクを手にいれました。

三茶のチャリティー自転車、今までありがとう!30歳になった今でもおまえのことは忘れてないよ!

 

さて、舞台と道具は整いました。いよいよ関東制覇に乗り出します。

 

神奈川、千葉、埼玉は楽勝!

 

違う県に自転車で行ったことをまわりに自慢したい私は、さっそく難易度が低いところからつぶしていきました。

手始めに血祭りにあげたのは神奈川県

多摩川を渡っちまえばそこにある神奈川県はあっけないほどに簡単。片道1時間の戦いでした。

次に目をつけたのは千葉県

千葉のくせに東京ディズニーランドとか名乗りやがって生意気な。と別にディズニーに興味のなかったのになぜか粋がってた私は片道3時間ほどかけて市川市あたりまで行き、千葉県をやっつけることができました。

 

2000年前後の学生事情

スマホはもちろんなく、携帯電話は高1からの人が多かった。インターネットがある家もまだ少なかった。

そのため、今みたいにグーグルマップなんて便利なものはなく、地図に頼るしかなかった。

 

社会の授業で使う地図帳を広げると、次に近いのは埼玉県と判明しました。

環七通りをひたすら北上していき、中山道で左折して荒川を渡れば埼玉県という分かりやすい道のり。

距離は今まで一番遠かったのですが、私たちの勢いをもってすれば大した戦いではありませんでした。

 

そうやって、破竹の勢いで神奈川と千葉、埼玉県を制覇しました。

そう、私と友人Aはこの先に待ち受ける困難には目をつぶっていました。

 

難敵は茨城、栃木、群馬の北関東3県!

茨城、栃木、群馬はすごく遠い。

中3の私たちにとっては別の国。未知の世界。本当に存在しているのかすら疑わしい。

素人の子どもが自転車でちょいちょいと行ける場所ではないのです。

そもそも親が許してくれるとは思えない。

私と友人Aの関東制覇の夢は一度引出しの中にしまわれました。

 

悶々とした日々を過ごしていた私は夢をあきらめることはできませんでした。

こんにゃくを目の前にすると「ぐんま…」とつぶやく始末。

毎日社会の地図帳と睨めっこしていた私を哀れんでか、神様は私の脳内にアイディアをくれました。

 

 

 

赤い丸で囲まれた部分をよく見てください。

なんと群馬県と茨城県、そして栃木県の県境がほぼ重なっているのではないか!

そう、ここを狙えば一回の旅で北関東3県を同時に行けるのです!

町の名前でいえば、群馬県板倉町、茨城県古河市、栃木県小山市のあたりです。

日光だろうが那須だろうが宇都宮だろうが小山だろうが、栃木県は栃木県なわけです!www

ここに行けば、正々堂々「関東を自転車で制覇したぞ!」といえるわけです。

我ながら姑息な名案を思い付いたものです。

 

とはいっても(当時は知らなかったけど)片道70キロの道のり、簡単なものではなかった。

私の人生でベスト3に入る思い出深い日がいよいよ近づいてきました。

 

いざ本番!地獄の1日が始まる

 

それは3月のある日。受験も終わり、暇をもてあそんでいた私と友人Aは決行した。

計画はまったくなし。

なぜならば、行くと決めたのはその日の朝だったから。

 

目標は板倉町・古河市あたり。地図は社会科で使っている尺度がめっちゃくちゃ大きいやつ。国道しかのってないけど、方向さえあってれば大丈夫という謎な自信がありました。

 

出発時のスペック

・中3の男子2名

・社会科の地図帳

・所持金2人合わせて1000円

・1.5リットルのコーラ1本

 

私たちは計画と情報だけではなく、お金もなかったのです。

中3の2人が所持金が1000円しかないって冷静に考えて終わってますね。大人しく家で漫画でも読んでろって話です。

しかし私たちは行きたかった。今日行きたかった。朝飯も食べてないけど、そんなの関係なかった。

お金がないのはさすがにまずいと思って、家の冷蔵庫に入っていたコーラを持っていったのは本当にファインプレーだったと今でも思います。

 

出発時に私たちの頭にあったのは、とりあえず埼玉県を目指すこと。

埼玉県を縦断しなければいけないことだけは確かだったので、環七通りを北上して埼玉県戸田市(荒川)を目指しました。

都内を通って越谷市あたりに向かったほうが近かったのですが、私たちは道がわからなかった。

意気揚々だった私と友人Aは、3時間程度で埼玉県との県境である荒川の土手に着きました。

そこでバカな行動をしてしまいます。

350円の牛丼(大盛)を食べてしまったのです。残金は300円。

きっと腹が減ったんだろうね。うん。

 

お金は300円しかないが、私たちには若さがあった。ここで引き返すなんて考えもしなかった。何とかなるさ。

荒川を渡り、埼玉県に入りました。

 

ここからは見知らぬ道を走り、目的地を目指してひたすら進みました。

様々な困難を乗り越えて。

 

 

その後どういうルートを走ったのかはまったく覚えてませんが、なんやかんやで茨城県古河市に着きました。時間は午後3時。

片道8時間かけて、私たちは茨城県を制覇したのです!

そこからは予定通り群馬県板倉町に入り、栃木県にもチラッと寄って、ついに「自転車で関東すべての都道府県に行く」という偉業を達成したのです。

 

時間は午後5時頃。一通り盛り上がった私は気づきました。

帰りがやばいぞ(‘ω’)

 

ありがたいことに算数はなんとかできる頭でしたので、ち密に計算してみたら、家まで8時間かかることがわかりました。なんのハプニングがなくても家に着くのが深夜1時になります。

その時は既にコーラを飲み干し、ペットポトルを2本買ったあとで、所持金は100円程度。帰り道は8時間70キロ。所持金はいくら数えても100円程度。

まずい、非常にまずい。

 

でも帰るしかないので、ひたすら急ぎました。のどは乾くけど500mlのペットポトルを大事に少しずつ飲みました。腹は減ったけど、田んぼから野菜を頂戴するわけにもいかないので我慢しました。

途中で小休止をいれながら、何とか夜10時には東京都板橋区まで行けました。何回か通ったことがある環七通りにたどり着き、一安心したところで、虎の子である100円を使うことにしました。

 

忘れもしない環七通り姥が橋(うがばばし)陸橋沿いのファミリーマート。そこで買ったチョコレートのダース。

エネルギーにはチョコが良い、なんていう知識はなかったのですが、神様のお告げだったのでしょうか。

ダースを4粒ずつ食べ、ペットポトルも飲み干し、10分ほど眠った私と友人Aは重い腰をあげて家に向かいます。

体力が既に限界だったので、おばあちゃんチャリに抜かれる有様でしたが、一漕ぎまた一漕ぎと必死に前に進みました。

世田谷区に入った時には眠気も増してきて、5秒目を開けて5秒閉じる(眠る)という危ない行動をしながらひたすら前に進みました。万が一車に引かれたらそれも天命だと思いながら。

今思えばもう一回休憩をとればよかったのですが、その時は家に帰るのが遅くなるのが怖かった。親に怒られるのが怖かった。深夜1時も2時も大して変わらないのですが(笑)

マジメだったんでしょうね。

 

家まであと1時間のところで、私たちに奇跡がおきました。

家族と連絡をとっていた友人Aが、

 

友人A

友人A
親戚が飯おごってくれるって!

 

たまたま外出していた友人Aの親戚が、飯食わせてやるから途中にあるジョナサンに寄れ、と伝えてきたのです。

まさに神様仏様。疲れと空腹で限界だった私たちは全力でジョナサンへと急ぎました。

この時に食べたミックスグリルは人生でトップクラスの美味しさでした。そういえば最高の調味料は空腹だって誰かが言っていたな…。

飯を食って元気を取り戻した2人は、その後なんとか家にたどり着きました。帰宅時間は深夜2時。

私たちは生還したのです!

 

反省点

 

反省点

・地図がなかった

・金がなかった

 

ほんとこの二つに尽きます。特にお金。

空腹もそうですが、喉の渇きは耐え難いものです。

往復150キロ位自転車を漕ぎ、摂取した水分が1リットルというのは相当やばいですね。よく生きて帰ってこれました。

 

たまには無茶をしたい

 

私が昔にした無茶の話でした。

大人になった今は、そんな行動力はなく、がんじがらめな日々を過ごしています。

このままで良いのか?と思うことがたまにあります。

別に意味はなくたっていいんだ、ちょっと無茶をしたいんだ!

 

無茶なことは、自分が勝手に決めた限界を超えることでもあります。

私はこの旅のあとに、自転車で長野県に行ったりしています。この日にした無茶は、私の人生に良い影響を与えた出来事だったと思っています。

若い人(に限らずですが)にはもっともっとやりたいことを後先考えないでチャレンジしてほしいなと思います。

意味ないなんて言わないでやりたいことをやろう、行動そのものにきっと意味はあるはずです。

 

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